保育・教育現場で思う、子どもの貧困と虐待

「児童虐待防止法」が成立してから17年。虐待に対する市民の意識の高まりから虐待の相談件数は大幅に増え、虐待防止ネットワークの定着もあり、深刻化を未然に防ぐことができた事案も出てきています。
しかし、悲惨な虐待のニュースが絶えることはなく、新聞に子どもへの虐待の記事が載っていない日はないと言えるほどです。
私も保育士や専門学校教員の仕事を通して、様々な子どもや学生、保護者と出会い、子どもの貧困や児童虐待の厳しい現実を見てきました。

保育現場で直面した、貧困の現状や虐待が疑われるケース

保育所に勤務していた時のことです。ネグレクトのため保育所に登所していた兄弟がいました。両親共に若年の保護者は、不安定な収入で生活もかなり困窮しており、母親自身の生活リズムが乱れているため朝起きることができません。
電話で催促すると、悪びれることなく昼前にやっと登所。着替えなどの持ち物はなく、お迎えも約束の時間に来られません。子どもが給食をガツガツと食べるのは、家庭ではまともな食事を摂っていないからでしょうか。おしっこと汗の臭いがして、お風呂も入っていない様子です。ときどき午睡の時間に、他の子にわからないようそっとシャワー室に連れて行き、体を洗いました。

「みてみて行動」や「○○してもいい?」と、常に保育士に「確認行動」をするという情緒の不安定さも見られました。大きな怪我こそありませんでしたが、親の感情にまかせて怒鳴られたり叩かれたりしているのかもしれません。保護者と何度も話をしましたが、保育士に心を開くことはありませんでした。

それでも、唯一の救いは毎日保育所に通ってこられたことです。
何か伝わるものがあったから、2人の子を自転車に乗せ、毎日保育所まで送り迎えしたのだと信じたいと思います。

こうした子どもたちの成長発達保障のために、成長する間に様々な側面からの支援が必要です。そして大人になった時、彼らとその子どもの間で、この貧困と虐待の連鎖が断ち切られなければならないと思います。

アルバイトに疲れ果て退学。奨学金という借金だけが残る

格差社会の進行は深刻さを増し、「日本の6人に1人の子どもが貧困家庭で育っている」と言われています。

私が教えていた保育士養成専門学校では、学生たちはほとんどが限度額いっぱいの奨学金を借り、アルバイトをして、何とか学費を払い生活していました。
保育士になろうと夢と希望を抱いて入学してきたはずなのに、毎年2割程度の学生が、アルバイトで疲れ果てて学校を休みがちになり、単位が取れずに退学します。その子たちには、奨学金という名の借金だけが残ってしまうという状況でした。

少しでも休みが続くと声をかけ、何とか続けられるよう引き留めるのですが、皆、意外とあっさりと退学してしまいます。

「もうええねん。」
「どうせ無理やし。」

と、簡単に諦めてしまうのです。これまでの「育ち」の中でも、自尊感情や基本的信頼感が高められるような経験の積み重ねが少なく、将来の夢や希望など見いだせないのだと思います。

中には、親が子どもの奨学金を生活費に充てたため学費を滞納して、退学になった学生もいました。その学生は、奨学金と滞納分の学費の二重借金を抱えるということになってしまいました。
奨学金を生活費に充てなければ仕方がないほど困窮した状況を察する一方で、親といえども子どものお金を使い込むことは、やはり虐待です。成人するほどの歳になっても、虐待から逃れることができない現実があります。

中退後の生活を心配しながら送り出し

学校を退学する前には、次の進路について話をします。すると、「今やっているアルバイトに入る時間を増やす」という学生がほとんどです。
飲食チェーン店でアルバイトしていた学生がそこの正社員にしてもらったという例もあり、そういう時は「よかったね。頑張りや。」と共に喜べるのですが、そんな例はよくあることではありません。
いつも、「奨学金を返済しながら生活していけるのだろうか、返済が滞って社会的制裁を受けることにならないだろうか」と心配しながら送り出すしかありませんでした。

学校を休んで単位が取れず退学になるのは、彼ら彼女らの自己責任だと言い切れるのでしょうか? そして学校を去ったあとは、アルバイトで食いつなぎ、借金を返済する生活です。嘆いてばかりでは始まりませんが、「頑張れ!」と言われても、どう頑張ったらいいのでしょう? そういう子たちのほとんどは高校の時から奨学金を借りているので、相当な額を返済していかなければならないというのに、安定した収入が得られる仕事に就くことは難しいのが現状です。まさにこうして貧困が連鎖されていくのだと思います。

昔、祖母が、「お金と暇があれば子育てほど楽しいものはない。」と言ったのを思い出します。経済的に余裕があって、時間にゆとりがあれば、心穏やかに子どもと楽しい時間が過ごせる。子どもの成長を楽しみにできる、と言うのです。

子どもの貧困や虐待が一家庭の問題ではなく社会全体の問題として認識され、すべての親が、「子育ては楽しい。」と思えるような社会制度を構築することが必要です。
子どもの人権が大切にされ、育った家庭や環境によって子どもに不利益が生じることがないよう、すべての子どもの成長発達が保障される社会となることを願ってやみません。

文:匿名寄稿