こども虐待防止シンポジウム 現場中継

晴天に恵まれた6月1日(土)、大阪歴史博物館講堂において「こども虐待防止シンポジウム 虐待の背景に潜んでいるもの~その時、身近なおとなたちができること~」が開催された。

事前申込制であったが、ほぼ満席状態。シンポジウムは、第1部 基調講演 杉山春氏「SOSはなぜ届かないのか~児童虐待の取材現場から~」と第2部 パネルディスカッション、パネラーは、杉山氏と峯本耕治弁護士、松浦善満本法人理事長で構成していた。

杉山氏は、ルポライターという自らのしごとを「自分自身の生き難さの謎解きをしてきた?」と自己紹介しつつ、近年全国各地で頻発している子どもの虐待事件の関係者にていねいな聞き取りと分析の結果を語りつつ、この問題の背景にある格差社会、貧困問題、子育てをめぐる関係機関や当事者のネットワークの脆弱さに言及された。

氏は、愛知県武豊町3歳児餓死事件(2000年)、大阪市西区2児置き去り死事件(2010年)、厚木市男児遺棄死事件(2007年、2014年発覚)の関係者からの聴き取り、裁判傍聴、などを通じて3つの事件にいくつかの共通点があると分析している。事件の加害者は「子ども時代から圧倒的な孤立。繰り返しの被害体験」をしており、その自己形成過程で「社会への不信(つまり、自分を信じられない)=価値あるものでなければ社会は許さないという感覚=自分は価値あるものであると本人が思えるかどうか(恥辱ということ)」が徐々に形作られていくのである。後段の論理は聞いていて分かりにくかったが、筆者はさまざまな体験・経験を通じて形成される自尊感情、家族や学校などの人間関係の中で当てにされた役立った体験などが少ないことと理解した。もちろん、その背景に経済問題(貧困?恥辱?)、親世代の無力 があることも指摘された。

さらに、各事件に現象していることをもう少しスコープを広げてみると、家や家族関係の変化がもたらす過剰な責任感と職場での同調圧力、子育てへの社会的支援の偏り、個々の事件を個人の資質や問題に還元しようとするとすることが、逆に社会や政治の責任や課題をあいまいにする問題などがみえてくる。

シンポジウムでは、峯本弁護士が子どもの虐待死という異常事態も理解可能な範囲で起こっているという視点が出された。つまり、親の生き方のシンドサと連鎖しており、彼らの社会的孤立が始まってから約1か月で事件が起きているのだ。別言すれば、「孤立」を未然に防げば事件も防げる可能性があったことになる。この提案を受けて、松浦理事長は、親たちが表面的に行政の介入を拒絶する奥にある気持ちをどれだけ想像力豊かにうけ止めつつ、粘り強く関係性を維持できるのかがポイントだとの指摘があった。そして、虐待問題だけに収れんさせずに子育てを支援できる社会的なネットワークとそれを維持する思想、財政、人員がまだまだ不十分である、と。

社会的な問題になっている重い課題のシンポジウムであったが、参加者は討議時間の少なさを実感しつつ、課題を考えるための多くの視点を胸に描きながら散会した。

碓井 岑夫 (関西こども文化協会・副理事長)